鳥取地方裁判所 昭和50年(ワ)137号 判決 1979年3月29日
原告 甲野一郎
<ほか二名>
右三名訴訟代理人弁護士 松本光寿
被告 鳥取県
右代表者知事 平林鴻三
右訴訟代理人弁護士 中山淳太郎
右指定代理人 太田垣弘
右同 野島実男
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告甲野一郎に対し金五〇〇〇万円、同甲野太郎及び同甲野花子に対し各金五〇〇万円ならびに右各金員に対する昭和四八年五月一二日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告甲野一郎(以下原告一郎という)は、昭和三一年六月三日、父原告甲野太郎(以下原告太郎という)、母原告甲野花子(以下原告花子という)の長男として出生し、後記本件事故当時被告の設置する鳥取県立○○高等学校(当時校長北尾章=以下北尾という)(以下○○高校という)普通科二年に在学し、同校が課外教育活動の一環として設置している柔道部に所属していた。
2 本件事故発生の経緯とその内容
(一) ○○高校柔道部(当時顧問同校保健体育課教諭西村俊=以下西村という)は、昭和四八年六月開催予定の高校総合体育大会(以下総体という)出場に備え、総仕上げの目的で、西村ならびに永本清美(県立○○北高教員=以下永本という)及び杉原勝儀(県立○○西高教員=以下杉原という)両コーチの指導のもとに、同年五月八日(火曜日)より同月一二日(土曜日)(以下特に示さぬ限り、年度は昭和四八年である)まで四泊五日間、同校内徳風寮に宿泊し、同寮に隣接する柔剣道場洗心館において練習を行う合宿訓練(以下本件合宿という)を、北尾の許可を得て企画し、本件事故発生時までこれを実施した。
(二) 本件事故発生時までの右合宿実施状況
五月八日(火曜日)
登校、授業終了(一五時一〇分)、一五時三〇分より合宿入りし直ちに乱取り練習、一八時より夕食、一九時より乱取り練習、二一時終了、入浴、就寝。
五月九日(水曜日)
六時起床、基本訓練の後七時三〇分より朝食、前日同様の授業、一六時より寝技練習、一八時より夕食、一九時三〇分より乱取り練習、二一時終了、入浴、就寝。
五月一〇日(木曜日)
前日に同じ。
五月一一日(金曜日)
授業終了までは前日に同じ、一五時より練習、一六時より○○北高柔道部と各三回練習試合、引続き一七時から一八時まで練習、一九時夕食、二〇時より乱取り練習中二一時三〇分頃本件事故発生。
(三) 本件事故発生状況とその結果
原告一郎(柔道初段)は、本件事故発生当日まで前記スケジュールどおり部員六名の一員として右合宿に参加していたものであるが、五月一一日本件事故当日、夕食後の乱取り練習に入り、部員数名と乱取りに続いて永本(同四段)と乱取りをなし、さらに引続き三年生部員乙山春夫(同初段=以下乙山という)と乱取り中、原告一郎が乙山に内股の技を試みたが、同人の体重に圧倒されてその下敷となり、頭部より崩れるようにして転倒し負傷した。
そのため、原告一郎は、直ちに山陰労災病院に入院し加療を受けたが、負傷は第五・六頸椎脱臼、脊髄損傷、両上下肢躯幹麻痺、膀胱、直腸障害等に及んでおり、昭和五〇年四月二〇日同病院を一応退院したものの、現在なお、坐位、起立、歩行はおろか、自己の意思による用便すらできない状態であり、これが症状の好転は医学上まったく見込めない状況である。
3 責任原因
本件事故は、いわゆる学校管理下の事故であるが、これについては、次に述べる原告一郎の発達成長権を侵害するものとしてとらえるべきである。即ち、
(一) 児童・生徒においても、憲法上その生存権と幸福追求の権利が実質的に保障されなければならないのであるが、子供は発達可能態であって、心身の発達成長をたゆまず続けるところにその本質があるから、子供は段階的な発達を経て自らを開花し、成長を遂げる権利、即ち発達成長権をその人格権の基礎として有するというべきである。
学校教育法は、児童生徒の発達成長権を基礎とし、その権利を段階的、具体的に保障している。即ち、「小学校は、『心身の発達に応じて』、初等普通教育を施すことを目的とする」(学校教育法一七条)、「中学校は、小学校における教育の基礎のうえに『心身の発達に応じて』、中等教育を施すことを目的とする」(同法三五条)、「高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、『心身の発達に応じて』、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする」(同法四一条)と明示し、児童生徒の発達成長権を実質的に保障することを目的としている。このことは、憲法二六条二項、民法八二〇条、児童福祉法二条、教育基本法四条及び学校教育法二二条、三九条等において、子供の発達成長権を保障するため、国や地方公共団体、あいは保護者に対して、右の見地から一定の責任ないし義務を定めていることからも肯定される。
このように、児童・生徒の発達成長は、学校での学習過程を通じて、たえず新たな可能性に挑戦して自らの能力を開花し、体力を増強していく過程において飛躍的に促進される。学校は、右のような児童・生徒の発達成長を実現する場であるから、本質的に危険性を内包している。
国及び地方公共団体は、学校教育の一つとして現在においては準義務教育化している高校教育を実施している者であるが、学校教育が右のように本質的に危険性を内包している以上、これが危険を現実化させないための高度の注意義務を負い、同注意義務は、もとより、「保健体育的行事」あるいは「特別教育活動及び学校行事等」にも妥当する。
(二) 高等学校におけるクラブ活動及び体育的行事は、学校教育法四三条、同法施行規則五七条、五七条の二の規定により文部大臣が公示した高等学校学習指導要領第三章に定める「各教科以外の教育活動」にその根拠を有するものであるが、本件合宿はもとより右クラブ活動および体育的行事に該当するから、企画、実施にあたる教職員及び校務を統括する職責を有する校長は、右指導要領により、生徒の健康、安全などを考慮し、特に負担過重にならないよう企画、実施、監督すべき法的義務を負うことは明らかである。
(三) ところで、格闘技は、相手方に対する身体的攻撃を本質とし、過労時における練習には死亡ないし重大な負傷事故発生の可能性、危険性が一段と強まるものであるが、本件合宿は、このような格闘技の中でも、右重大事故が「過労時の練習に際して発生する危険性」の特に強い柔道の練習を目的としたものである。
(四) したがって、本件合宿についても、部員の過労その他による重大事故が発生することのないよう、(1)企画、実施者である西村は、合宿の安全性につき、合宿時期、期間、練習方法及び部員の健康状態等、合宿全般に細心の注意を払って企画し、その実施を指導監督し、(2)補助者である永本、杉原両コーチは、右趣旨をもって細心の注意を払い、合宿の実施につき右西村の補助をなし、(3)校務を統括する職責を有する北尾は、本件合宿企画の安全性につき十分その内容を検討し、いやしくも安全性に問題があればその内容を変更させ、あるいは企画を中止させるなどの適切な措置をとり、もって、重大事故の発生を未然に防止すべき業務上、職務上の注意義務をそれぞれ負うものであった。
(五) しかるに、本件合宿は、平常通り授業(前記指導要領にいうところの「教科」の教育活動)が行われる週日に、しかも長期間、前述の如き強行日程で企画、実施されたもので、それ自体その時期、方法等において合宿参加部員の過労に対する配慮が欠けており、重大事故の発生を回避すべき科学的配慮がなされたものでないことは明白である。
学校におけるクラブ活動においては、技術の向上を目的としつつ、生徒の発達成長権に危険のないよう十分の注意が要請されることは当然のことであり、従来みられがちな成績至上主義の誤りであることは明らかである。要するに本件合宿は、発達成長過程にある高校二年生には過重な負担を強いるものであったというほかはなく、原告一郎の負傷は、同原告が極度に疲労したため、乱取りにおいて同原告が通常発揮できる技量を発揮し得なかった結果発生したものである。
さらに、永本は、本件事故発生当日、一九時の夕食に際し、当日の練習がいまだ終了していないにもかかわらず飲酒し、こともあろうに原告一郎にまで飲酒を執拗に勧め、同原告に対し、コップ半杯のビールを飲ませ、そのまま引続き練習に参加させた。その結果、原告一郎は、疲労困憊の極に達し、その過労と右飲酒によるアルコールの影響により、乱取り稽古中のとっさの動きに対し、身の安全を確保する動作に必要な反射神経、運動能力、体力等を著しく低下させ、本件重傷を余儀なくされたのである。なお、原告一郎にはまったく飲酒経験はなく加えて相当の練習の後なので、アルコール量がわずかであっても反射神経等に悪影響を及ぼすであろうことは容易に予見し得るところであり、同原告に飲酒させた永本の振舞いは、合宿部員の生命、身体の安全をも常に監督すべき立場にあるコーチとして明らかに注意義務に反する所為である。また、これを知りながら放置していた西村、杉原も同様注意義務に違反しており、北尾も監督責任を免れるものではない。
なお、本件事故が、原告一郎の「内股」に基因することは明らかであるが、「内股」からいわゆる「巻き込み」の連続技に移ることは極めて危険であって、今日ではこれは禁止されている技となっているところ、原告一郎は、その得意技とする「内股」において頭を低くして「巻き込む」癖があったにもかかわらず、西村は、同原告の右癖についてまったく矯正指導をなさず、わずかに永本において、同原告が一年生のときに他の合宿で指導したことがあるにすぎない。即ち、柔道部における常設の顧問であった西村には、部員たる原告一郎の指導上、右の点につき重大な過失が存し、これがため本件のような重大事故を招来せしめたものともいえるのである。
以上によれば、北尾、西村、永本及び杉原に、前記(四)に記載する、それぞれの職務上の注意義務に違反した過失が存していたことは明白である。
(六) 国家賠償法二条一項は、公の営造物の設置管理の瑕疵に基く損害賠償責任を定めているところ、これは、民法七一七条の規定とその趣旨をほぼ同じくするものであるが、現憲法の基底にある基本的人権尊重主義、福祉国家主義と、国がこれらを存立の目的としていることを考えれば、国家賠償法二条一項の規定は、民法の規定をさらに敷衍し幅広く解釈されなければならない。したがって、同条項にいうところの営造物とは、単に道路等の有形物をいうのではなく、これらと同様に国民が利用を余儀なくされている無形の「制度」をも含むものと類推解釈されなければならない。かかる見地から、高校における教育活動の場での事故の法的救済を円滑にはかることができるのであって、同事故により損害の賠償を求める者は、事故のよってきたる客観的瑕疵を主張するをもって足るものといわなければならない。
本件事故は、指導者が安全性について十分な知識・経験を有していたなら回避できた筈であるが、被告は、発達成長の過程にある原告一郎に対し、その安全面で十分な能力を発揮し得る指導者を与えることを怠ったもので、このことは、国家賠償法二条一項の瑕疵というべきである。
(七) 県立高校の生徒とこれを設置している県との在学関係は、当該生徒と県との間に、生徒は、県の設置する高校の指導に服して教育を受け、所定の授業料を納付する等の義務を負い、県は生徒に対してその施設を供し、その雇用する教員に所定の課程を授業させるなどして生徒の発達成長を増進させる義務を負うものとして成立していると解さなければならないが、原告一郎と被告との関係もこれと同一である。即ち、被告は、原告一郎がその程度に応じて発達成長するにつき十分注意し、もって本件のような重大な柔道事故の発生を防止すべき債務を負担していた者である。それにも拘らず、被告あるいはその履行補助者である校長、顧問及びコーチらは、前記(五)記載の注意義務違反たる債務不履行によって、原告一郎の発達成長権に潰滅的な打撃を与えたものであって、被告は、債務不履行責任を免れ得ないというべきである。
(八) 被告は、北尾、西村、永本及び杉原の任用権者であり、本件事故は、右北尾らの職務上の注意義務違反による前記各過失により惹起されたのであるから、前記の如く被告は、民法七一五条または国家賠償法一条一項、二条一項若しくは民法四一五条により、原告らの本件事故によって生じた損害を賠償する義務がある。
4 損害
(一) 原告一郎の損害 五〇〇〇万円
原告一郎は、本件事故により生涯廃疾の身となったものであり、その悲惨さには多言を要しない。本来、生命・身体自体の価値は絶対的なものであり、何物をもってしても替えられるものではない。したがって、原告一郎の本件負傷による損害はこれをすべて非財産的損害と考えるべきであるが、これが損害を金銭で評価すれば五〇〇〇万円を下らないと言うべきである。
ちなみに、原告一郎は、大学進学の予定であったが、昭和四八年度賃金センサスにおける大学卒業者の年間所得九五万一七〇〇円に無職者一六才のホフマン係数二一・九七一を乗ずれば同人の逸失利益は二〇九〇万円を下ることはなく、本件事故発生日以後の付添看護料を一日につき二〇〇〇円要するとすれば年間七三万円を要することとなり、さらに、一六才の平均余命である五六・〇八年のホフマン係数二六・三を乗じると付添看護料の損害は一九二〇万円を下ることはない。
(二) 原告太郎及び同花子の損害 各五〇〇万円
最愛の長男が、生涯廃疾の身になり、連日片時も目を離さず看護していかなければならない父母の精神的苦痛はまさに筆舌に尽し難いものがあり、これが惨状は正視にたえない。右精神的苦痛は、少くとも各五〇〇万円をもって慰藉されなければならない。
5 よって、被告に対し、原告一郎は五〇〇〇万円、同太郎及び同花子は各五〇〇万円ならびに右各金員に対する本件事故の日の翌日である昭和四八年五月一二日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因第1項の各事実は、いずれも認める。
2 同第2項(一)の事実中、永本が所属する○○北高が県立であるとの点は否認するが、その余の事実は認める。なお、○○北高は私立である。
同(二)の各事実は、以下に述べる点を除き概ねこれを認める。即ち、
五月八日及び一〇日には、終始乱取り練習をしたのではなく、練習開始前の準備体操、練習の間における休憩、練習後における整理体操、顧問及びコーチの講話等を含んでいる。五月九日における練習も八日及び一〇日と概ね同様であるが、この日の授業終了は一五時一〇分であり、一五時三〇分頃から練習開始、準備体操一〇分ないし一五分、一五時五〇分頃から約五分間、組んで打ち込み、投げの形等基本練習をなし、休憩をとり、一六時頃から○○北高生徒と試合形式で二回練習、この練習時間約二五分、練習後休憩、その後乱取り練習、一人五分間三回、乱取り終了後整理運動をして練習を終了した。五月一一日における練習も八日及び一〇日と概ね同様であるが、この日には○○北高生徒と練習していない。
同(三)の各事実は、「前記スケジュールどおり」との点を除き、いずれも認める。なお、スケジュールは右に主張したところによるものである。
3 同第3項(一)の主張は争う。
同(二)中、「体育的行事」を「保健体育的行事」とし、「各教科以外の教育活動」を「特別教育活動及び学校行事等」とするほかは、いずれも認める。
同(三)については、柔道の練習が原告らの主張するようなものであることは認める(但し、過労の意義づけは原告らの主張と合致しないであろう)。なお、柔道練習は格技と称しており、格闘技とは称さない。
同(四)については、一般的に注意義務のあることは認める。
同(五)の各事実中、原告一郎にまったく飲酒経験はないとの点は不知、その余の事実は、いずれも否認する。なお、杉原は本件事故当日不在であって無関係であり、また「巻き込み」技が禁止されたのは、投げられる者の危険を考慮してのことであるから、本件事故の指導上の過失を論証するため挙げるのは誤っている。
同(六)及び(七)の各主張は、いずれも争う。
同(八)の主張中、被告が北尾、西村、杉原の任命権者(任用権者とは称さない)であることは認めるが、その余の点については争う。なお、被告は永本の任命権者ではない。
4 同第4項の各事実は、いずれも不知。
三 被告の主張
1 本件合宿にあたっては、生徒の健康状態あるいは疲労度は十分に観察されており、総体を控えて、特に疲労がないよう注意が払われていた。
また、飲酒は学校の固く禁ずるところであり、この禁を破れば個人の懲戒はもちろんのこと、当該部の対外試合出場禁止あるいは部活動停止の措置がとられることは全員の熟知しているところであるから、原告ら主張のような飲酒の事実はあり得る筈がない。
2 原告一郎は、本件事故当時、既に一〇年間の学校教育を受け、成人に準ずる判断力を持っており、自己の健康や安全に対する注意と、そのために努力する能力及び学校の規律を守る、自主、自律の精神を有していたことは明らかであって、特に、柔道に関しては他の部員より優れた体力、術技、意気込み、注意力等を備えていたことが認められるのであるから、自己の健康状態や疲労度については、顧問やコーチに言えないまでも養護教諭には相談できる筈である。
また、仮りに、原告ら主張のような飲酒を行ったとすれば、いかにそれがすすめられたとはいえ、自らが、自主、自律の精神を放棄したものと言わざるを得ない。
さらに、柔道における基礎的な動作は受身であるが、原告一郎が、本件事故発生時の乱取りにおいて、自己がしかけた第一の技が不首尾に終り、相手につぶされるときに、相手の柔道衣を握っていた手を離し手を畳につき受身をしていさえすれば、本件事故は発生しなかったことは明らかであり、結局右事故は、同原告が柔道の鉄則である受身を無視したことに原因がある。
以上によれば、本件事故の発生については被告に責任はないことが明白である。
3 原告らが既に入手した金額及び将来入手確実な金額は、別表記載のとおりである。
四 被告の主張に対する原告らの認否
右別表中、災害共済給付金一五八万二一〇八円を治療費の一部として受領したことは認める。特別廃疾見舞金四〇〇万円は、入手不確実であるから否認する。その余の見舞金を受領したことは認める。
第三証拠《省略》
理由
一 当事者の地位等
原告一郎が、昭和三一年六月三日、父同太郎、母同花子夫婦の長男として出生したこと、本件事故当時、同一郎は、被告の設置する○○高校(当時校長北尾)普通科二年に在学し、同校が課外教育活動の一環として設置している柔道部に所属していたことについては、いずれも当事者間に争いがない。
二 本件事故発生の経緯とその内容
1(一) ○○高校柔道部(当時顧問同校保健体育科教諭西村)は、六月に開催される予定の総体出場に備え、総仕上げの目的で、西村ならびに永本(私立○○北高教員=但し、この点は、《証拠省略》により認める)及び杉原(県立○○西高教員)両コーチの指導のもとに、五月八日(火曜日)より同月一二日(土曜日)まで四泊五日間、同校内徳風寮に宿泊し、同寮に隣接する柔剣道場洗心館において練習を行う本件合宿を、北尾の許可を得て企画し、本件事故発生時までこれを実施したこと、
(二) 原告一郎(柔道初段)は、本件事故発生当日まで他の柔道部員五名とともに右合宿に参加していたものであるが、五月一一日夕食後の乱取り稽古(互いに自由に技を掛け合う練習方法=以下乱取りという)に入り、何名かの部員との乱取りに続いて永本(同四段)と乱取りを行い、さらに引続き三年生部員乙山(同初段)と乱取り中、同原告が乙山に対し内股の技を試みたところ、同人の体重に圧倒されてその下敷となり、頭部より崩れるようにして転倒し負傷したこと、
(三) 原告一郎は、右負傷後直ちに山陰労災病院に入院し加療を受けたが、負傷は、第五・六頸椎脱臼、脊髄損傷、両上下肢躯幹麻痺、膀胱、直腸障害等に及んでおり、昭和五〇年四月二〇日同病院を一応退院したものの、現在なお、坐位、起立、歩行はおろか、自己の意思による用便すらできない状態であり、これが症状の好転は医学上まったく見込めない状況であることについては、いずれも当事者間に争いがない。
2 《証拠省略》によれば、本件合宿の計画は、初日八日は放課後一五時三〇分頃から合宿入りし、一七時三〇分頃まで練習、一七時三〇分頃から二〇時頃まで夕食休憩、二〇時頃から二一時三〇分頃まで夜間練習、二一時三〇分頃から入浴、二二時三〇分頃までには就寝、翌九日から一二日までは、毎朝六時過ぎに起床、七時三〇分頃まで朝の練習、その後朝食をとって授業に出席し、一五時一〇分に授業終了後は八日と同様であり、一二日の一五時に合宿終了という内容であったこと、本件合宿は、後記するように、就寝時刻が遅れがちであったほかは、本件事故発生当日まで概ね右計画に則して進められていたこと、その練習内容は、朝がランニング、腕立て伏せ、腹筋運動等を主体にした基礎トレーニングである以外は、放課後及び夜間のいずれとも、投げ技の型の反復を繰り返えす打ち込み稽古と乱取りを中心にしてなされ、本件合宿期間中、一度○○北高柔道部員との練習試合も行われたこと、本件事故は、合宿四日目の夜間練習の終りに近い午後九時過ぎ頃、前記1(二)のとおり、他の部員や永本らと乱取りを終えた原告一郎が、乙山と乱取り中、同人に対し内股の技を試みた際、技が決らず、引続きそのまま巻き込み技に移行したところ、体勢が不十分であったため同人の体重(当時の両者の体重は、原告一郎が七〇キロ前後、乙山が少くとも八五、六キロから九〇キロ前後であった)に圧倒された形で頭を真下に突込むようにして転倒し、その上に同人がおおいかぶさるようになったため発生したものであること、以上の各事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠は存しない。
三 被告の責任の有無
1 被告が、北尾、西村及び杉原の任命権者であることは、当事者間に争いがない。
2(一) 《証拠省略》を総合すれば、以下の各事実を認めることができる。《証拠判断省略》
(1) 本件合宿計画は、柔道部員が顧問の西村と相談して立案したもので、予め参加部員の健康調査を行い、合宿計画、経費等を示して各父兄の同意を得、また各担任教師の了承をも得たうえ、西村において所定の合宿許可願用紙に同計画の内容を記入し、徳風寮使用許可願とともに、当時の教頭井沢健に届出で、同教頭が北尾のもとにこれを提出して許可の決裁を受けた。
(2) 本件合宿に参加した柔道部員六名の内訳は、三年生三名、二年生一名(原告一郎)、一年生二名で、いずれも相当程度柔道の経験を積み、当時一年生の内一名が一級であったが、他の五名は初段であった。原告一郎は、中学二年の時から柔道を始め、同三年の時に初段を取ったもので、本件合宿当時右部員の中でも実力が最も優れ、鳥取県下にあってもかなり嘱望されていた選手であった。
(3) 本件合宿は、その最終日より五、六日後の五月一七日ないし一八日から一学期の中間試験が始まるという時期に行われた。
(4) 本件合宿は、概ね前記二2記載のとおり当初の計画に則して実施されたが、その練習日程は、放課後にだけ行われる通常の場合と異り、前記のように朝のトレーニング及び夜間の稽古が加わったもので、その内容は、前者は往復二キロメートル余の距離をランニングしたのち、腕立て伏せ、腹筋運動等を行うもの、後者は前記のような打ち込み及び乱取りを中心とするものであった。
(5) 合宿参加部員の就寝時刻は、その当初から予定よりも遅れがちであり、本件事故前日の五月一〇日まで毎日午後一一時を過ぎる状況であつた。
(6) 右の結果、平素に比べて合宿参加部員の疲労は重く、授業中に居眠りをしたり、部員によっては身体の節々に痛みを覚える者もいた。このような疲労感は、原告一郎においても例外ではなかった。
(7) しかし、合宿中及び本件事故直前に、原告一郎にも他の部員にも特別肉体的、精神的異常は認められず、部員らから格別の訴もなされなかった。
(二) 右の事実関係をみるに、本件合宿は、参加部員の健康調査の実施や各父兄及び担任教師の同意を得たうえで行われており、ことさらその手続において不都合なところは見当らず、また合宿計画の内容及びその実施の過程も、総体に備える目的でなされたため、その時期、日程からみて平素の練習に比し、いわゆるハードスケジュールともいえる要素を含んでいたことは争えず、そのため普段に比べれば参加部員の疲労も重かったものと推認し得るが、同部員らは柔道部員として日頃から活動していたものであり、本件事故当日、原告一郎を含む合宿参加部員が、疲労困憊した状態にまで至っていたとは到底認め難いところである。
3(一) ところで、公立高校の校長ないし教員が、校内における教育活動につき生徒を保護すべき義務があることは明らかであり、本件における柔道部の活動が課外教育活動(いわゆるクラブ活動)の一環として行われていたことは前記一のとおりであるから、右柔道部の活動としてなされる本件合宿を計画、実施するにあたっては、校長及び指導教師が、その職務上、参加部員の健康管理及び事故防止について万全を期すべき注意義務を負うことはいうまでもない。
しかし、校長、教師といえども、およそ想定し得るすべての危険に対して完全に生徒を保護することは不可能であり、特に、本件の如き柔道競技は、相手方との間での一連の攻撃、防禦の動作を内容とし、したがってそれに付随して諸種の身体的事故が発生しやすいものであり、その意味で本質的に一定の危険性を内在していると解されるから、右にいう注意義務の存否を判断するにあたっても、不可能を強いることとなってはならず、自らそこに相応の限界が存すると言わざるを得ない。
ところで、クラブ活動としてのスポーツも、学校教育の一環としてなされるものである以上、生徒の心身の健全な発達に資することを目的とすべきであるから、徒らに生徒に困難を強いあるいはこれを危険に曝すものであってはならないが、反面、単なる安易な遊戯に堕すべきでもなく、生徒の発達段階に応じた適度な修養、鍛練を含むことが望まれるものと考えられる。しかも、スポーツとしての性質上、ある程度の技量及び成績の向上を目的とすることも必然的に生ずるのであり、むしろそのような目的に向って努力を積むところに教育的効果を期待し得るとも言えるのであり(もとより成績至上主義に陥ることは厳に慎むべきであるが)、そのような向上の過程における一つの具体的な指標として総体のような対外試合を設定し、かつ、そのために本件合宿のような特別の訓練期間を設けることも首肯し得ないことではなく、このような合宿においては、その目的からして、平常の練習よりもある程度厳しい訓練が課されることも、対象生徒の経験、技量、体力等に比して過度にわたらない範囲においては是認されるものと言わなければならない。
このような見地から、前記二2及び三2に認定した事実関係についてみるに、本件合宿の計画及びその実施は、合宿の時期、期間、毎日の練習時間、休憩時間、練習内容、参加部員の水準等を総合して、参加部員に過重な負担を強いる程のものであったとは認めがたく、実力の優れた原告一郎についてはなおさらであったと考えられる。
右によれば、本件合宿に関し、その計画、実施につき、北尾、西村に指導監督上特段欠けるところは存しなかったと言い得るのである。
(二) 《証拠省略》によれば、本件事故当日の夕食後、夜間練習が開始されるまでの間、原告一郎は、永本からすすめられて一八〇cc位のコップに半分程度のビールを飲んだ形跡が窺える(この点については、証人永本、同杉原、同西村、同村尾及び同北尾のいずれもその証言中において否定しているが、右掲記の各証拠に照らし、にわかに措信し難い)ところ、もとよりかかる永本の所為は、当時本件合宿を直接指導するコーチたる立場にあった者として、甚だ不見識極まりないものと言わざるを得ないが、一方、右飲酒行為は夕食直後になされたもので、その量もわずか一八〇cc位のコップに半分程度のものであったことに照らせば、原告一郎が、それ迄ほとんど飲酒経験をもたなかったこの点は、《証拠省略》により認められる)としても、右の飲酒による影響はほとんどなかったものとみざるを得ず、また本件全証拠によるも、右飲酒後の稽古において、本件事故に至るまでの原告一郎に、何程の異常が生じていた様子も認められないのである。
してみると、右飲酒行為と本件事故との間に相当因果関係の存在を肯定することは困難であると言わざるを得ない。
(三) また、原告らは、本件事故は、原告一郎が相手に技を掛ける際頭を下げる癖があり、この点を西村らが矯正せず放置していたことにもその原因がある旨主張するが、《証拠省略》によれば、同人らは、原告一郎が○○高校に入学以来、頭を下げるなとか、頭を横に向けろとか注意して、その矯正に留意していたことが認められ、右認定に反する《証拠省略》は前掲各証拠に比し採用できないし、前記二2に認定したとおり、本件事故は、原告一郎が乙山に内股の技を試みた際、技が不十分であったことに加えて、同人の体重に圧倒されたような形で生じたものと認められるので、右のような癖と本件事故との間に直接の因果関係があったかどうかも疑わしいと言うべきである。
(四) その他本件事故当時を含む合宿に際し、原告一郎の練習について、西村、永本、杉原らに具体的な指導上の手落ちがあったものと認めるに足る証拠は存しない。
以上によれば、本件合宿の計画ならびに実施にあたり、北尾、西村、永本、杉原らのいずれにも注意義務に反する点が存したとは認められず、したがって本件事故は、右の者らの過失に基づくものではなく、結局なんびとも、予測も回避もできない突発的な不慮の事態であったと判断せざるを得ない。
4 したがって、右のように、北尾、西村、永本、杉原らのいずれにも過失が認められない限りは、被告に対し、民法七一五条または国家賠償法一条一項に基づく責任を問うことはできないし、また、仮に原告一郎と被告との間に債権債務関係の存在を肯定するとしても、以上の事実関係のもとでは被告に債務不履行があったと認めることはできず、民法四一五条に基づく責任も問い得ないと言うべきである。また、原告らの主張するような「無形」の制度を国家賠償法二条一項にいう「営造物」に含めて解釈することには無理があり、かかる見解は当裁判所の採用し得ないところであって、同条項に基づく責任の主張も理由がない。
そうすると、原告ら主張の発達成長権が私法上の具体的権利として肯認し得るものであるか否かはさて措き、被告の責任原因に関する原告らの主張はすべて失当であると言わざるを得ない。
四 以上によれば、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 野田宏 裁判官 奥田孝 石村太郎)